心が乏しくなったので言葉を発することをやめたら豊かな心が戻ってきた


かもしれない。


今月の7日?8日?頃からTwitterでつぶやくことを抑えるようにしました。
時間があればTLは見るようにしていますが朝と夜ぐらいでつぶやく以前の問題にパソコンはおろか携帯もろくに触れていないような気がします。通勤途中も気力が無くほとんど使っていません。先日、朝出勤し23時頃帰宅してバッテリー残量を見たら86%で自分で引きました。職場では電源は切っているのですが、ネット依存していたとは思えない残量でした。自分がいかにTwitterに依存していたか痛感しますね。

逆を言えばTwitterから離れれば携帯に依存しなくなる、とも言うのでしょうか。私の場合他人との連絡も避けていました。人との関わりを避けるようにしていました。
理由は3月から始まった仕事が言葉に出来ないほど苦しくてつらかった。
3月は無我夢中でがむしゃらでひたむきにできていた仕事が4月に入って周りを見るようになりそれが良い方向に傾くよう努力すればいいものを周りの目をひたすら気にしてしまった。出来ないことに対する恐怖心、結果として出てくる自分の現状、先輩からの言葉ひとつひとつが重圧に感じて情けない凡ミスの繰り返し…出来ないが積み重なった私は自分自身を悲観的に見るようになり、それは他人から見ればものすごく気持ちが悪いものでした。まだ自覚があるうちに抑えようという結論でした。関係ないことばかりさらっとつぶやくのも面倒でした。

仕事が嫌いなわけじゃないから尚更出来ない自分がつらい、悔しいと感じて、でも結果は何日経っても変わらなくて苦痛でした乗り越えられる自信が無い日々ほどつらいものは無いです。

結局堪えることができなくなって友人に現状を伝えて、抑え続けた言葉もぼろぼろ言ってしまった。でも友人は最後まで聞いてくれて理解もしてくれました。すごくすごく有難かったです。

よく、「女は同意されたがる」とか「同意だけを求めている」とか言うけれど、1日中否定され続けてボロボロな時ぐらい嘘でも良いから分かって欲しいし認めて欲しいと思う。発言するまでの過程を知らないと難しいってことも重々承知の上で私は思う。

こんなにつらつらと書いているので回復はできていますが、急に戻るとまたバキッと折れた時が怖いのでTwitterはもう少しの間離れようかなと思います。
わざわざ発言するなんて誰かが待っているかと自意識過剰みたいで情けないけどそれも本心。まだTLの勢いを見ると凹むしついていけなくて勝手に腹が立つ時がある(器の小ささを晒すようで情けない)

前の記事に人生楽しいかもしれないって書いててとても笑う。死んだ目で笑う。楽しいなら楽しいって言えばいいのに!むかつく!少し前の私むかつく!!

究極に落ちるところまで落ちたと思うのであとは上がるだけだと信じています。上がる努力を忘れずに。
明日もがんばろうって考えすぎて、その言い聞かせる考えに飽きたし駄目になりそうだけど、そうするしかないから、明日もがんばろう。明後日はそこからまたもう少しがんばろう。



最近よく伊藤さんを思い出します。思い出すと、あの時よりはつらくないかもしれないって思うんです。つらさや苦しみは比べるものじゃないけどがんばるバネにはなると思う。