お疲れさまもありがとうも言えない子供だった頃の話をします。

薫太が退所しTwitterを始めキャスで近況報告を11月14日の深夜にしていたことを今日の昼に知りました。それまでは本当になにも知りませんでした。正直、あぁ、本当に辞めているんだ。と、分かり何も見ずに友人の呟きだけを目に入れて何も触れず過ごしました。気づけば伊藤さんが居たVeteranは3人も辞めているのですね。2011年5月29日の名古屋でラジオセットに座っていた3人がもういなくなってしまったのですね。私は当時6人が大好きだと思っていました。でも、伊藤さんが翌月に辞めた時あっさりと切り離すようにVeteranに対して何か感情をもつことはありませんでした。よって、龍規の対所も格差も他人事でした。当たり前といえば当たり前ですが。
今回どうしてわざわざ記事を書いたかと言うと、薫太が自ら自分の写真を載せ、声を発し、文字を打ちネットという世界だけでも存在を残そうとしている姿を見て、
羨ましいと思ってしまった。


Twitterなんて軽々しい、おたくにチヤホヤされたいだけ、構って欲しいだけの哀れな人、そう言って突き放す人も少なくないことも充分分かっていますが、やっぱり羨ましいです。
かといって伊藤さんが今更Twitter始められたら嫌ですが。(他の子も同じく今更始められても意味がない)私はその時の言葉を聞きたいと常々思っていました。あの時どう思った?辞めた今どんな気持ち?辞められた時思うことはこればかりです。いなくなった時って何も分からないし知ることもできなくて、どんなことでもいいから知りたくて。だから本人からあぁやって発信されることがすごく羨ましかったです。


だからといって『こんなに私は羨ましがっているのに贅沢!!』なんて感情はさらさらありません。羨ましいというのは私が何も知ることができなかったからであって、知らされた時の感情は私には分からないのです。だから、そんなこと言えません。むしろ、勝手にまとめないでよ、終わらないで、ってもっと未練が残ってしまうかもしれない。私は『13年間、ありがとう』とラジオに残した言葉ですら感情がごちゃごちゃになってしまいました。それなのに事細かくつい最近のことまで言われてしまって、勝手に終わらされてしまって、いつ来るか分からない次を待てと言われて、簡単に前を向けるのでしょうか。分からない。想像もできない。偉そうなことなんて絶対言えない。


ほとんどの方が
お疲れさま、ありがとう
と言っていてすごいな、と思いました。
長すぎる現場不在期間がそうさせたというのであれば何もいうことができませんが…

当時17歳の私はお疲れさまもありがとうも何も言えなかった。
もう少し早くお疲れさまとありがとうを言えていたら良かったね。